思考が漏れてます

仕方ないんです。漏れてしまうんです。

( ゜∀ 。) <やるじゃない plamolog

8が書けない

f:id:ujiujise:20140614010513g:plain

結論から言う。まともに字がかけないという恥さらしであるが、ポジティブに心を収束できた。 手に障害を抱えているわけではなく、被害者面で大義を得て他者を落とし込めるエントリではない。 低レベルかもしれないが、これは良きモチベーションとなり頑張ろうとする思いと感謝の念を示すものだ。 誰も興味は無いだろうが、なぜ字が汚いままだったかという僕に興味が無い人には極めてどうでもいい退屈な経緯をここに晒す。 視点を変えてみる私にとっては字が汚いという事象ではあるが、自分が今まで問題を棚に上げて人生を過ごしてきたものがあったとする。逃げられない状況で、自分はどうするのか、それに対して如何に向き合えるかというヒントになればと思った。だから書いた。

間違いなく字が汚いのは、常識という言葉で片付けるのは気に食わないけれども、非常識な人生を歩んできた私が悪い。

今までの人生で何度か字が汚いことを指摘された事もあるが、全て無視してきた。そのツケが回ってきたのである。

社会人になってても、管理職を任された時ですら職業柄で電子機器で済む日常業務であった為、電子データに頼りきりで字が汚いまま。

致命的なのは、数字がまともに書けなかった事である。

f:id:ujiujise:20140614010028p:plain

まず認識したことは8がダメなのである。その場、その場で8と書いているつもりでも、それは8になっていない。実態はこうだ、8が5にも見えるし、8にも見える。なんの数字なのか曖昧だ。いや、これは数字とは呼べない。

事件は、事務処理中にそれを同僚に指摘された時だった。私は字が汚い事については人に言われなくても直す努力をしなかったので分かっている。目の前の作業をこなしている時という心に余裕がなかったこともあった。

「申し訳ないのですが今すぐには直せません。イスラム教徒が、キリスト教徒に改宗するくらい今は無理なんです。本当にごめんなさい。」 と、情けない声を出してしまった。

どうしても、先のタスクが迫っている重圧など、その時の状況と心がマッチしていなかったのだろう…本当に無理な要求に感じた。心身が元気になってきたとはいえ、現状仕事としては信用を得られていない身の上だ。期待値としての契約時の給与より、そもそもが下がっている状況であるから焦る。 採算感覚を意識できることは一つ誇りに思えることだけれども、よりによって自身が不利な状況においては肩身が狭く心が苦しい。形は違うが業績が伸びず資金繰り苦しむ営業マンはこんな心境なのだろうか。

そしてムリポと情けない悲鳴を上げた瞬間、誰もが出来るようなことがなぜ自分にできないのだろうか。久々に今は普通でなく、過去から普通にできなかった人生と努力を怠った自分を呪った。字以外でも非常識であり色々と普通になる為にいっぱい挫折を重ねてきて、普通の人になれているだろうという奢りがあった。

自身の人生において普通で劣等感を特に感じず安穏と暮らしている人ほど、幼き頃より妬ましい事はなかった。普通がわからないので、より特別であろうとし、特別を駆逐する社会の洗礼を受けるまでは若い時は特別であることが正しい中庸がなんだバカヤロウと素直にならず、結果的に逃げてきたのである。だから、いくつになっても本質は非常識であり、字も汚い。

久々の痛恨の一撃だった。

だが、事が一段落して頭を冷やし反省と整理をした。8がまともに書けないからって8に目を背けていても、それはまた逃げる人生を繰り返すことになる。まさに8を多くの人に認めてもらう為のこれからが私の正念場だ。

そもそも読める字が書くことができ、読むにあたっても誤認識しない人からしたら馬鹿げた戯言かもしれないが、紙媒体を使う手描きの事務処理でメモに近い記述でも致命傷になることがある。侮っていた。そして自分は情報テクノロジーとしての視野しか持ち得ず、字が書けることなど取るに足りないと思っていた奢りに雷が落ちた。

私はその同僚と出会えてよかった。テクノロジーで8を書かない選択肢や工夫もあるのだが、異なる文化を理解せず、己の自己正当化のためだけでは結果的に字を読めることにも一定の努力をしてきた人達にとっては努力してきたことを否定し感情面すら無碍にすることにも等しい。それでは相互理解なんて夢のまた夢である。

価値観や歩んできたキャリアの毛色は異なるものだが、ぶつかっても私は8に向き合わないと多くの人の立場は理解できないだろう。それは嫌なので受けて立ち、8を書けるよう私は努力をする決断を下した。

虎穴に入らずんば虎子を得ず。今度こそ逃げない。良い機会だった。うーん6にも見えるなぁ。

変われる可能性はチャンスと幸福である。