思考が漏れてます

仕方ないんです。漏れてしまうんです。

( ゜∀ 。) <やるじゃない plamolog

嫌いにならない努力

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30歳以前、僕には敵だらけだった。時には権謀術数で駆逐したり、時には逃げ出したりと自分の視野の狭い純粋な正義の為には誰がしを敵とし憎しみ、多くの人を巻き込んでいたと思いだす。

僕は人に依存しやすい性格だったので、依存している味方と思っている人が敵視している人に対して普通に接している姿を見かけると嫉妬心も膨れ上がるも、なぜ敵視してる人はクソなのにあの子はクソと仲良くできるのだろうか?という疑問も同時に湧いていた。

そういうのを何年も繰り返し、敵と戦う体力が尽きるまで(肺の病気を患うところ)繰り返してきた。

繰り返す中、味方が敵に惹かれている点は何か?と考えるようにもなった。

つまるところ、結論は自分が許せない基準が低かったのである。異なる価値観への許容が出来ないのは、自分の正義はわかりやすいとして賛同してくれる人もいたが、そもそも違う角度で見ると自分自身がちっさい世界で肩肘張ってるだけのお子ちゃまだっただけである。

むしろ自分のいたらなさを痛感し反省し、取り返しのきく間に関係修復も繰り返す努力もした。

ともあれ、その繰り返しだけでも心の成長はなんとか伸ばせたのかなと思う。消耗するが。

でも、ある点に気付いていなかった。毎回、嫌い、好きを何度も繰しているところだ。

嫌いとか憎しみの感情は己を疲弊させるのである。体力有り余る元気だった頃は、嫌う感情も受け入れられたのだが年を重ねるとただのストレスになるだけで今だとしんどくて身が持たない。

周囲にも気遣わせるし、間に立たされる人の立場を考えるとなんと、はた迷惑なことをしてきたかと思う。

なので、自分にとって相手が少々癖が強く感じても排他的にせず嫌う選択肢を捨て、何か面白い個性がこの人にはあるのでは?と考える癖をつけた。平たく言えば、相手のいいところを見ようということである。そして自分の主義主張は後回しにする。

つまり嫌いにならない努力をやった。すると心が穏やかになり、敵というものがなくなった。

ただ、僕は敵意がなくても相手から一方的に敵意を持たれた場合、こっちが敵対する気持ちはないけども気持ちは良くない。仲良くしようとかまでは思わない。勝手に敵視される人の気持ちも今となればわかる気がする。

多くの人は、こんなことで悩まずすんなりと社会に溶け込める人も多いだろうけれども僕はそうじゃなかった。

僕のような人がいると仮定して、こういった消耗サイクルで人間関係に行き詰まり苦しい想いで悩んだりしていれば、脱出するために役立てれば幸いだと思う。

世の中に溢れる理想の環境や人間をメディアなどで目にして強く影響されているとか、雄弁に語るカリスマが言ってることこそが求める姿だ!お前の言うこと長ぇし、うるせーバカ、負け犬wwwと数年前以前の僕ならこのエントリ読むと多分そう思うでしょうが、当の本人は嫌いにならない努力をしてとても幸せなのであります。

心のエコです。