思考が漏れてます

仕方ないんです。漏れてしまうんです。

( ゜∀ 。) <やるじゃない plamolog

学べることの機会は極力逃さないこと

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基本的には流れに身を任せた人生を送っています。大きすぎる夢はあるだろうけれども、それは多分かなわない憧れで歳を重ねるごとに無理だと見えてきます。ただ、それを捨てると自分の軸がなくなってしまい、つまらない人生になるのではと僕は心の奥底では捨て切っていません。

という文脈は今回言いたいことにはあまり関係ありません。強いて言うなら歳を重ねるごとにというキーワードくらいでしょうか。

期間。始まりがあれば終りもある。人との関わりもSNSの発展などで緩やかに継続できることは可能ですが、身近で同じ時間を過ごす事は家族以外いつ終わるか見えません。 自分が去ることもあれば、相手が去ることもある。学校の卒業や、転職、派遣など一定の期間というのが確定していることから不確定なものまであります。

こんな文章を書いていても、結論から書くべきということも重々承知なのですが、ついつい前置きを長くしてしまうのも自身のBlogだから甘えてしまいます。

期間という時間軸で人との直接的な関わる状況で、いつも意識していることがあります。 無論楽しい思いで作りなどは当然のことでそれは前提です。

さて、やっと言いたいことをいいます。

僕は、関わる人がいる間に自分自身にとってなにかを学び得られないか?ということを常に意識しています。

役に立つことから役に立たないことまで、今いる環境の人々から学べることというのは探せばたくさんあります。それは出来る事を増やせることにつながります。

色々なモノの見方ができ、色々な経験を積むチャンスが生まれます。その経験を積むということは、将来において自分自身の選択肢を広げるきっかけに繋がります。また、経験を積める門をたたく可能性も増えます。仲良くなれば、相手が苦ではないことなら喋ってくれるものです。そういう積み重ねをこなしていくと最悪、諦めや絶望から逃れられます。

あいつはつまらないと判断するのは早計。自分の世界観や偏見を大切にしたいからあいつの世界観は気持ち悪いというのも早計。

無論、自分の根深いコンプレックスに相容れないケースもあるので身の丈にあわせて価値観を除外することは今の僕にもあります。

逆に、そういう場合は現在の自分の器はこのくらいだということも認識できますし、価値観を除外することで、より強固な自分も作れたり保てたりもできます。強固な自分は迷いがない分、敵も増えるでしょうが基本強いのです。

ただ、折れた時が大変なんです。自信を失い、心のデフレスパイラルに陥る人もいるでしょう。 そんなくらい自分を貫き通せる人は天賦の才能がある人くらいに希少で難しいことです。 ただし、人間性としては自分を曲げなかった分、底の浅さも見えてしまうので人から避けられ諦められ、学びについての機会損失に繋がります。

早計云々と述べ始めたところのくだりは、学べることの機会の幅が決まるということです。

学べることとは何か?曖昧な言い方をしています。学べることは人それぞれだからです。

僕は、未成年の間DQNでバカでした。DQN期間が終わっても痛いこと結構しててバカでした。 なので成人を迎えた際、基礎学習や日本的一般常識というのが欠落している人でした。

コンプレックスも未だにありますし、日々の生活で暗算してタイム−セールのお買い度がすぐにだせないとか小さなことから大きなことまでまだまだたくさんあります。数学どころか算数できねぇよ…

そういう個々にやっておけばよかった、こういうのって一体なんだろう、将来これが来る!など動機は色いろあるでしょう。

身近にそういう人がいたら学びのチャンスです。もちろん1から10まで教えてくれる人もいるでしょうが、そこに期待してはいけません。相手と自分の折り合いがあるので、ひとまずの目標は学びへのきっかけだけ作り、門を開くところくらいで一旦満足するのが経験的によいです。

基礎の基だけでもつかめると基礎に繋がります。もし、学べる機会あるひとが身近にいるのならば聞くこと見ること感じることが大切です。

素朴な質問や、何がわからないのかなど自分がはっきりと把握さえしていれば相手に手間を掛けることもなく回答を得られ解決に至ることもあります。また、相手が手がけているもの手がけたものに対して見て学ぶというのもあります。ヒントを探してモノにしましょう。

と、そんなとても勉強になる相手もいついなくなるかわかりません。なので基礎の基くらいはものにできるように機会を逃さず貪欲に学んでいきましょう。きっかけだけあれば自力でもある程度は進めるので中途半端でも知らないよりはマシです。

僕の場合、バカな癖に見栄だけは一流で分からないことは恥として虚勢だけ張るという期間が成人した頃にありました。そんなの社会に出て理不尽に対して速攻屈してしまい。よくないのですが卑屈を負債として背負った代わりに、謙虚さと素直さを手に入れました。

見栄・虚勢が、中年以降に続くとあの人やりづらい、うざい、足引っ張る、なんとかしてあげようとも思わない、という取り返しの付かない厄介な事態を招いている人も見かけたので素直さと謙虚さは表に出さずとも心にはきちんと持っておくことが大切です。

特に若い時は、この辺りに気づけないことが多いです。多くが健康で体力があること、経験の無さを虚勢で跳ね返して、敵視することで自分を保ちやすいデリケートな時期だからです。

学べる機会を得る姿勢を作るのには早いに越したことはありません。 僕は早かったほうで助かったと思っていますが、まだまだコンプレックスは多いです。なのでずっと飢えた目で色んな人から得られることを貪欲に見ています。目が血走ってたらごめんなさい。

ということでだらだら書いてしまいましたが、他人から学べることは有限であり少しでも自分のアンテナに引っかかったら喰らいつきましょう。

よいお年を。