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思考が漏れてます

仕方ないんです。漏れてしまうんです。

( ゜∀ 。) <やるじゃない plamolog

古寧頭の戦いの影に名将アリ

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時は1949年、金門島(中華民国・台湾)そこに大日本帝国陸軍、根本博中将(元)がいた。 1945年8月に日本は敗戦し終戦した。根本中将の名将話はそこから始まる。

民族思想の心情で書いているのではなく、
知られざる事実を知った上で感動した内容を
自身の記憶の為にここに記す

戦前・戦中の根本中将

  • 軍国としての国策を牛耳っていた統制派のキーパーソン達の派閥に属する
  • 二・二六事件(皇道派が統制派を潰そうとした内紛)に策略を用い皇道派の士気を下げた
  • 支那事変における中国侵攻の作戦立案などの参謀職に就く

    人柄としては懐の深い豪快な性格の反面、核心の多くは語らず何を考えているのか わからない昼行灯(ひるあんどん)と称されることもあった。 ご遺族の話によると軽率な発言で民間人、部下、家族に迷惑をかけない配慮の昼行灯だという。

敗戦とソビエト連邦

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  • 敗戦により、武装解除が各戦地に告げられる
  • ソビエト連邦が日本との中立条約を破棄し、武装解除にある日本の占領地に対して内蒙古、満州、南樺太、北方四島に侵略する
  • 満州は、武装解除で無力状態の多くの日本兵や市民が連行され強制収容所送りになった
  • 南樺太方面は、武装解除命令が遅れていたため終戦10日間の激戦が繰り広げられた。後、停戦。
  • 内蒙古は武装解除命令があったが、内蒙古担当の根本中将の判断で民間人の帰国が完了するまで命令無視で徹底抗戦し、ソ連軍が侵攻を諦め、軍、民の撤退に成功させる

根本中将は、当時中華民国総統の蒋介石(しょうかいせき)に直接交渉し、 日本は敗戦したのだから速やかに撤退する。ついては、ソ連軍が攻めてくるので撤退の支援と ソ連との戦闘を認めるための交渉に成功する。

この時、根本中将は戦中は敵だったが蒋介石のこの決断に一生の感謝をしたといわれる。

帰国後の根本中将

陸軍中将という立場は、アメリカ合衆国の占領軍にマークされる人物であり、 当時の日本政府もその意向を受け日本の警察が毎日自宅へ立ち寄っていたという。 根本元中将は、ほぼ毎日釣りに出かけていたらしい。だが、中国情勢の情報収集には 欠かさなかったという。

終戦後の中国大陸

  • 1946年に、蒋介石率いる国民党軍は、共産主義を掲げる毛沢東の共産党を排除に掛かる(国民党優勢)
  • 1947年に、国民党は同盟国アメリカ合衆国の支援が乏しくなってしまい勢いを落とす
  • 1948年に、共産党はソ連の支援を受け大反攻に移る(共産党優勢)
  • 1949年に、国民党は台湾島まで共産党に追い詰められる。

    アメリカの支援が乏しくなったのは主に、日本統治に専念したかったみたいである。 理由は、共産主義の亜種の思想を持つスターリン、毛沢東、金日成らに対抗する 盤石な前線基地にしたかったのだろう。それは今日まで続いている。

1949年10月25日その時歴史が動いた

国民党壊滅危機にある事を知った根本元中将は、いつものように釣りに出かけると 言って通訳や台湾統治時代の総督の息子ら共にマークを逃れながら何とか台湾へ赴く。 目的は、国民党軍の支援および中華民国を亡国にしないため。 これは、当時の情勢からすると戦犯からは免れたものの陸軍のキーパーソンの一人が 再び戦地に赴くということは大変な国際問題になるため秘密裏の行動であった。

根本元中将の個人的な感情もあっただろうが、おそらく資本主義国の大きな意図が
あったのではないかと憶測している。また、台湾統治が長期間であったため、
米軍の直接の指導よりも、旧日本軍の指導の方が統制がとりやすいという説がある。

台湾で蒋介石と再開し、互いに喜んだという。そして、林保源と名乗った。 立場は、軍事顧問(参謀)で参画した。

1949年10月1日、中華人民共和国が中国共産党の手により建国。 満を持して、中国統一を果たすため10月25日に中華民国を打倒するため、 中華民国の最終防衛ライン、金門島に2万人を人海戦術として上陸させた。

金門島は、台湾島より100km離れた中国大陸よりの島である。

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古寧頭戦役

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  • 林保源と軍は金門島を要塞化し、巧みな戦略で人民解放軍の上陸後、船を焼き払い退路を絶った
  • 人海戦術の侵攻に耐えながらも、徐々に人民解放軍を追い詰める
  • 人民解放軍は金門島の端にある村に潜伏した
  • 最後の総攻撃ということで、国民党軍は村ごと総攻撃しようとしたが、林保元は断固反対
  • 民間人を巻き込まず、あえて村からの手薄な退路を1つだけ用意し人民解放軍が必ず通る道を策として用意する
  • その退路から人民解放軍が逃げようとしたところ、民間人を巻き込まない形で殲滅した。

たった3日で金門島を死守し、中華民国・台湾はなんとか存続できた。 また、1950年勃発する朝鮮戦争に兵力を割くため金門島占拠および、台湾侵略は頓挫した。

今の台湾があるのは、この戦いに勝利したターニングポイントだ。 この戦役を終えたあと、林保源こと、根本博は蒋介石と友情を育み帰国した。

帰国した時に釣り竿を持って飛行機から何食わぬ顔で降りてきたという。
いつものように釣りに出かけたとでもいいたかったのか。

2009年10月25日その時歴史が動いた

実は、台湾は日本人がこの戦闘で関わってきたことを今まで否定していた。 台湾関わらず、特定の国々(日本も含む)にとってこの事実は触れたくない何かが会ったのだろう 真実は闇に封印されていた。

しかし2009/10/25、公式に根本博は台湾の歴史に登場することになる。 根本博と行動を共にした日本人の息子たちが自分の親たちの軌跡を知りたい思いで 行動し、様々な事実が発覚し台湾政府も改めてこの事実を認め、資料として残す行動に出た。

根本帰国後の台湾には白団

根本博の活躍後、秘密裏に蒋介石が日本人将兵だった者の軍事顧問団を結成した。 通称白団である。台湾軍の軍事教練に携わっていた。 根本博は白団には加わっておらず、そのまま余生を日本で送ったという。

意外と探せば根本博関連の情報は多く出てくる。

根本博 by Google