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思考が漏れてます

仕方ないんです。漏れてしまうんです。

( ゜∀ 。) <やるじゃない plamolog

喧嘩するほど仲がいい。それが全てか?

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喧嘩するほど仲がいい。それが全ての最適解のような風潮や心酔しちゃってるのはうんこだと思ってる。

もう一度いう。うんこだ。

仲のよさを示すメソッドなんてうんこ程選択肢があり、喧嘩なんてその一部でしかない。

各々なりの相手を大切に思う気持ちがあって接している状況こそが仲がよく、関係性が保てていることこそが美しいのだ。

そういう考えに至れる人を僕はうんこほど敬意を示す。心の中で。

ただ、心のどこかで相手を見放したり、拒絶したり、ないがしろにすることで片方が壊れるため双方あって成立する仲のよさは破綻する。

まさにうんこな状況だ。

口にしなくてもだいたいそれは相手に気取られる。人間様の感性を舐めてはいけない。

喧嘩するほど仲はいいんだろうがそれは全てではない。自分自身の心掛けと等身大での思いやる気持ちが大切なんだ。

汚物を撒き散らした文書だけれども、それでもなお僕を思いやってくれるだろうか?

部下曰く、言うは易く行うは難し

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月曜日って日曜日のよりの使者にいざなわれるのでなく、死者として月曜日を向かえるのでしょうがと、重たい気持ちで重たい古傷を思い出します。だらだら書きます。

何年か前を思い出しました。忌々しい…結果が全て。お前の言うプロセスなど知ったこっちゃない。

ビジネスでは、こんな言葉まかり通るのが当たり前の苛烈な世界です。

かつて上司にやられ、かつて経営者にやられ、かつてコンサルタントにやられ。ぶっ殺してやりたいと、思い出すだけで殺意に満ちあふれます。

さらに、言及は続きます。どうしてこうなったのか?正直に答えたものなら、待ってましたと言わんばかりになんにも内情を知らない癖に、ダメなところを的確に心をえぐるように打つべしと明日の為に首を括りたくなるジャブを喰らいまくりました。

じゃあ、んな偉そうに言うならお前がやれやボケ!みたいなことを言い返したこともあったような気がしますが、お前の責任感はその程度か、何も出来ないのね。と、ぐぬぬとなったこともあります。

そういうことを言う人の立場の辛さや重圧や苦しみもあるのでしょうが、このようなアプローチは建設的ではないのです。

やられて嫌なことは、自分はしないので違うことを考えます。

ダメな結果はダメで突き刺しますけど、突き放しはしないです。単純なアプローチミスや考えもしない精神的障壁でパフォーマンスが出せなかった。チームメンバー内の人間関係でどうもうまくいかなかったなどと、ゲロ吐かせば色々実態が見えて来ることもあります。情状酌量の余地があるケースもあります。必要なら自分も一緒に動きます。

ということを数年前やってました。頑張ってました。今は、そんな気概ありません。忍耐だらけになって疲れました。

しかし、そういうのから身を引いた部分はありますが

いじめるだけの人

心をえぐるけど、道は示す人

プロセスの実態を把握し道を一緒に歩もうとする人

という風に、主張が強い人が部下に失敗した時にどのようなアプローチをするのかヘラヘラしながら見てます。見てるだけですが。他にも色んなバリエーションがあると思いますがなんにせよ

言うは易く行うは難し

やり方として、しっかりと一緒に歩もうとする姿は僕は好きですね。いじめる人は上司たる資格はありません。やはり、心をえぐるけど、道を示す人が無難かなと思います。怖いから好きにはなれませんが妥当です。人間性としてはまた別の話。

今日はテンション低いのです。それだけでした。突然蘇る記憶って怖いなぁ…

8が書けない

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結論から言う。まともに字がかけないという恥さらしであるが、ポジティブに心を収束できた。 手に障害を抱えているわけではなく、被害者面で大義を得て他者を落とし込めるエントリではない。 低レベルかもしれないが、これは良きモチベーションとなり頑張ろうとする思いと感謝の念を示すものだ。 誰も興味は無いだろうが、なぜ字が汚いままだったかという僕に興味が無い人には極めてどうでもいい退屈な経緯をここに晒す。 視点を変えてみる私にとっては字が汚いという事象ではあるが、自分が今まで問題を棚に上げて人生を過ごしてきたものがあったとする。逃げられない状況で、自分はどうするのか、それに対して如何に向き合えるかというヒントになればと思った。だから書いた。

間違いなく字が汚いのは、常識という言葉で片付けるのは気に食わないけれども、非常識な人生を歩んできた私が悪い。

今までの人生で何度か字が汚いことを指摘された事もあるが、全て無視してきた。そのツケが回ってきたのである。

社会人になってても、管理職を任された時ですら職業柄で電子機器で済む日常業務であった為、電子データに頼りきりで字が汚いまま。

致命的なのは、数字がまともに書けなかった事である。

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まず認識したことは8がダメなのである。その場、その場で8と書いているつもりでも、それは8になっていない。実態はこうだ、8が5にも見えるし、8にも見える。なんの数字なのか曖昧だ。いや、これは数字とは呼べない。

事件は、事務処理中にそれを同僚に指摘された時だった。私は字が汚い事については人に言われなくても直す努力をしなかったので分かっている。目の前の作業をこなしている時という心に余裕がなかったこともあった。

「申し訳ないのですが今すぐには直せません。イスラム教徒が、キリスト教徒に改宗するくらい今は無理なんです。本当にごめんなさい。」 と、情けない声を出してしまった。

どうしても、先のタスクが迫っている重圧など、その時の状況と心がマッチしていなかったのだろう…本当に無理な要求に感じた。心身が元気になってきたとはいえ、現状仕事としては信用を得られていない身の上だ。期待値としての契約時の給与より、そもそもが下がっている状況であるから焦る。 採算感覚を意識できることは一つ誇りに思えることだけれども、よりによって自身が不利な状況においては肩身が狭く心が苦しい。形は違うが業績が伸びず資金繰り苦しむ営業マンはこんな心境なのだろうか。

そしてムリポと情けない悲鳴を上げた瞬間、誰もが出来るようなことがなぜ自分にできないのだろうか。久々に今は普通でなく、過去から普通にできなかった人生と努力を怠った自分を呪った。字以外でも非常識であり色々と普通になる為にいっぱい挫折を重ねてきて、普通の人になれているだろうという奢りがあった。

自身の人生において普通で劣等感を特に感じず安穏と暮らしている人ほど、幼き頃より妬ましい事はなかった。普通がわからないので、より特別であろうとし、特別を駆逐する社会の洗礼を受けるまでは若い時は特別であることが正しい中庸がなんだバカヤロウと素直にならず、結果的に逃げてきたのである。だから、いくつになっても本質は非常識であり、字も汚い。

久々の痛恨の一撃だった。

だが、事が一段落して頭を冷やし反省と整理をした。8がまともに書けないからって8に目を背けていても、それはまた逃げる人生を繰り返すことになる。まさに8を多くの人に認めてもらう為のこれからが私の正念場だ。

そもそも読める字が書くことができ、読むにあたっても誤認識しない人からしたら馬鹿げた戯言かもしれないが、紙媒体を使う手描きの事務処理でメモに近い記述でも致命傷になることがある。侮っていた。そして自分は情報テクノロジーとしての視野しか持ち得ず、字が書けることなど取るに足りないと思っていた奢りに雷が落ちた。

私はその同僚と出会えてよかった。テクノロジーで8を書かない選択肢や工夫もあるのだが、異なる文化を理解せず、己の自己正当化のためだけでは結果的に字を読めることにも一定の努力をしてきた人達にとっては努力してきたことを否定し感情面すら無碍にすることにも等しい。それでは相互理解なんて夢のまた夢である。

価値観や歩んできたキャリアの毛色は異なるものだが、ぶつかっても私は8に向き合わないと多くの人の立場は理解できないだろう。それは嫌なので受けて立ち、8を書けるよう私は努力をする決断を下した。

虎穴に入らずんば虎子を得ず。今度こそ逃げない。良い機会だった。うーん6にも見えるなぁ。

変われる可能性はチャンスと幸福である。